★ フォーレ レクイエム ★
永らく休止を頂いておりましたが、漸く復帰いたしました。
そこで、今日はレクイエムだ。
日本人には教会音楽というジャンルは馴染みが薄いかも知れない。
かく言う私などは、子供の頃に教会で賛美歌を歌った以外は、友人・知人の結婚式で儀礼的に触れるくらいで、キリスト教が生活の中に入っている西洋人が教会音楽に寄せる思いは恐らく理解できていない。
それでもこのフォーレのレクイエムの美しさは解る。
モーツァルトのレクイエムの崇高な気高さ、ヴェルディのレクイエムのオペラ的な感動、いずれも素晴らしいがフォーレのそれはシンプルで清澄、正に天上の音楽だ。
〇 レクイエム ニ短調作品48 〇
フォーレのレクイエムは以下の7曲から成っている。
第1曲: イントロイトゥスとキリエ Introït et Kyrie(入祭唱とキリエ)
第2曲: オッフェルトリウム Offertoire(奉納唱)
第3曲: サンクトゥス Sanctus(聖なるかな)
第4曲: ピエ・イェズ Pie Jesu(慈愛深いイエスよ)
第5曲: アニュス・デイ Agnus Dei(神の小羊)
第6曲: リベラ・メ Libera Me(私を解き放ってください)
第7曲: イン・パラディスム In Paradisum(楽園へ)
本来レクイエムには欠かせない Dies Iræ(怒りの日)を敢えて入れていないことや、ミサ終了後の赦祷式で歌われる応唱であるリベラ・メ、出棺・葬儀時に歌われるイン・パラディスムが入っていることなど、本来的なミサからはいささか外れた構成になっている。
そうしたこともあってか、この曲は初演以来「異教徒的」「死の恐怖から逸脱している」などの批判を受けたりしたようだ。
本当に「異教徒」である私には異教徒的なる本質に入り込めないが、確かにこの曲は「天上の音楽」であり、静謐な祈りが溢れており、死の恐怖には程遠いと感じている。
これについてフォーレ本人は、『私にとって死は苦しみというよりも、むしろ永遠の至福と喜びに満ちた解放感に他ならない』と語っている。
長年教会のオルガン奏者を勤めたフォーレは、画一的な教会音楽から逃れたかったとも述懐している。
〇 サンクトゥス 〇
全曲が美しく、心に滲みるのだが、中でも特筆すべきなのが第3曲サンクトゥス。
Sanctus, Sanctus,
変ホ長調、アルペッジョに乗ってソプラノがSanctusと歌いだし、テノールが応じる。
ここではヴァイオリンの音色が効果的だ。
この上なく美しい。
〇 ピエ・イェズ 〇
このソプラノ独唱は感動的だ。
変ロ長調のオルガン伴奏に乗って、ここでは合唱が休み、ソプラノの独唱がPie Jesu Domineと歌いだす。
私はこの曲はボーイソプラノが良いと思っている。
多少の音程の振れを伴いながらも、ピュアで透明な音色は心を打つ。
今日は、この旋法を用いた儚くも美しいフォーレの天上音楽に、ただ清冽に心を震わせたいと思う。
<今日の一枚>
フォーレのレクイエムは、以前はクリュイタンスの2回目の録音をよく聞いていたが、コルボ盤に出会ってからはこればかり聴いている。
フォーレの言う「永遠の至福と喜びに満ちた解放感」を慎み深く、静かに描いていると思う。
願わくば、私が滅する際にはこの演奏に包まれたい。
■フォーレ: レクイエム
ミシェル・コルボ指揮 ベルン交響楽団
サン=ピエール=オ=リアン・ドゥ・ビュール聖歌隊

<推薦盤1>
所謂「改訂版」での演奏ではコルボ盤が私の推薦盤になるが、小編成な「原典版」での演奏となるとラター盤になるだろう。
■Requiem [CD, Import]
ジョン・ラター指揮 メンバーズ・オブ・シティ・オブ・ザ・ロンドン・シンフォニア
ケンブリッジ・シンガーズ

永らく休止を頂いておりましたが、漸く復帰いたしました。
そこで、今日はレクイエムだ。
日本人には教会音楽というジャンルは馴染みが薄いかも知れない。
かく言う私などは、子供の頃に教会で賛美歌を歌った以外は、友人・知人の結婚式で儀礼的に触れるくらいで、キリスト教が生活の中に入っている西洋人が教会音楽に寄せる思いは恐らく理解できていない。
それでもこのフォーレのレクイエムの美しさは解る。
モーツァルトのレクイエムの崇高な気高さ、ヴェルディのレクイエムのオペラ的な感動、いずれも素晴らしいがフォーレのそれはシンプルで清澄、正に天上の音楽だ。
〇 レクイエム ニ短調作品48 〇
フォーレのレクイエムは以下の7曲から成っている。
第1曲: イントロイトゥスとキリエ Introït et Kyrie(入祭唱とキリエ)
第2曲: オッフェルトリウム Offertoire(奉納唱)
第3曲: サンクトゥス Sanctus(聖なるかな)
第4曲: ピエ・イェズ Pie Jesu(慈愛深いイエスよ)
第5曲: アニュス・デイ Agnus Dei(神の小羊)
第6曲: リベラ・メ Libera Me(私を解き放ってください)
第7曲: イン・パラディスム In Paradisum(楽園へ)
本来レクイエムには欠かせない Dies Iræ(怒りの日)を敢えて入れていないことや、ミサ終了後の赦祷式で歌われる応唱であるリベラ・メ、出棺・葬儀時に歌われるイン・パラディスムが入っていることなど、本来的なミサからはいささか外れた構成になっている。
そうしたこともあってか、この曲は初演以来「異教徒的」「死の恐怖から逸脱している」などの批判を受けたりしたようだ。
本当に「異教徒」である私には異教徒的なる本質に入り込めないが、確かにこの曲は「天上の音楽」であり、静謐な祈りが溢れており、死の恐怖には程遠いと感じている。
これについてフォーレ本人は、『私にとって死は苦しみというよりも、むしろ永遠の至福と喜びに満ちた解放感に他ならない』と語っている。
長年教会のオルガン奏者を勤めたフォーレは、画一的な教会音楽から逃れたかったとも述懐している。
〇 サンクトゥス 〇
全曲が美しく、心に滲みるのだが、中でも特筆すべきなのが第3曲サンクトゥス。
Sanctus, Sanctus,
変ホ長調、アルペッジョに乗ってソプラノがSanctusと歌いだし、テノールが応じる。
ここではヴァイオリンの音色が効果的だ。
この上なく美しい。
〇 ピエ・イェズ 〇
このソプラノ独唱は感動的だ。
変ロ長調のオルガン伴奏に乗って、ここでは合唱が休み、ソプラノの独唱がPie Jesu Domineと歌いだす。
私はこの曲はボーイソプラノが良いと思っている。
多少の音程の振れを伴いながらも、ピュアで透明な音色は心を打つ。
今日は、この旋法を用いた儚くも美しいフォーレの天上音楽に、ただ清冽に心を震わせたいと思う。
<今日の一枚>
フォーレのレクイエムは、以前はクリュイタンスの2回目の録音をよく聞いていたが、コルボ盤に出会ってからはこればかり聴いている。
フォーレの言う「永遠の至福と喜びに満ちた解放感」を慎み深く、静かに描いていると思う。
願わくば、私が滅する際にはこの演奏に包まれたい。
■フォーレ: レクイエム
ミシェル・コルボ指揮 ベルン交響楽団
サン=ピエール=オ=リアン・ドゥ・ビュール聖歌隊

<推薦盤1>
所謂「改訂版」での演奏ではコルボ盤が私の推薦盤になるが、小編成な「原典版」での演奏となるとラター盤になるだろう。
■Requiem [CD, Import]
ジョン・ラター指揮 メンバーズ・オブ・シティ・オブ・ザ・ロンドン・シンフォニア
ケンブリッジ・シンガーズ

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フォーレのレクイエムは以前に図書館で借りた「パーヴォ・ヤルヴィ指揮、パリ管弦楽団」のCD演奏で
CDリッピングしたものがありまして今、聴き直しています。ヤルヴィ/パリ管はちょうど来日中でこれも
何かの因縁でしょうか。
実はこのCD、図書館で借りたものの、少しだけ聴いて未だに真面に聴いていなかったのです。
で、★赤影★さんの今日の記事を読みながら聴きなおして見たら、何と、超々感動ものではありませんか。
解説を読みながら聴いて見るとこんなにも捉え方が変わるのかと自分でも驚きました。
「サンクトゥス」、美しいです。本当に素晴らしいです。仰る通り、正に天上の音楽ですね。
また、大切にして行きたい曲が出来ました。ありがとうございました。
お疲れ様でした。
私はヘレヴェッヘ/アンサンブル・ミュジック・オブリク/シャペルロワイヤル合唱団を愛聴しております。「原典版」と表示されています。
そもそも何が違うのかわかっとりませんが。
変わり者かもしれませんが、オッフェルトリウムの終わりのところ。あそこが好きです。
ありがとうございます。
永らくご無沙汰を致しましたが、そのように言って頂けるなんて幸せです。
待っていて下さる方が居る、と思うだけで人は幸せになれるんですね。(^^)
パーヴォ・ヤルヴィとパリ管は、丁度今夜横浜で演奏中ではなかったでしょうか。
出来れば聴きに行きたいと思っていたのですが・・。
ヤルヴィのフォーレはパリ管の芳醇な音色を理知的に引き出した正攻法のレクイエムですよね。
確かソプラノはカウンターテナーが歌っていたと思いますが、巧みで非常に美しい歌唱だったと思います。
サンクトゥスは特に美しいですよね。(^^)
いつも本当にありがとうございます。(^^)
色々とありましたが、無事に復帰致しました。
フォーレはレクイエムを何段階かで改訂しており、オーケストレーションを補強していったようです。
主に出版社からの要請だったように記憶しております。
ラター盤もヘレヴェッヘ盤もその小編成稿を基に演奏されていたのだと思います。
改訂版よりも、フォーレの目指した素朴でシンプルなレクイエムだと感じますね。
「オッフェルトリウムの終わりのところ」ですか。(^^)
最後のAmenの部分でしょうか。
とても和声が美しいところですね。(^^)
いつも本当にありがとうございます!(^^)
復帰何よりです・・・
そしてお疲れ様でした。
レクイエムというとやはり、ヴェルディとかモーツアルトが有名ですけど
(個人的には、先日逝去された三善晃のレクイェムが結構好きです・・)
一般的に「レクイエム」というと「怒りの日」というのか激情的な印象がありますけど、フォーレはその点全然違うような気がします。聴いていて、何か妙に「優しさ」を感じてしまうのですよね。ヴェルディが死者に対してのものならば、フォーレは、生きている者に何か温かい視線で描いているような感覚のレクイエムのような印象が自分にはあります。
個人的には、やはりクリュイタンスのパリ音楽院が一番しっくりきますね。
コメントありがとうございます。
お陰さまで、漸く復帰できました。(^^)
そうですよね、フォーレのレクイエムは本当に人への「優しさ」に溢れていますよね。
そうそう、仰るように「生きている者」への慈しみを感じさせます。
「喪失」への慟哭ではなく、全てを包含する安寧のようなものを。
私もクリュイタンス盤は素晴らしいと思っています。
コルボ盤は天上からの慈愛の光を感じさせる演奏で、クリュイタンス盤は生きる人間の天上への積極的な祈りを感じます。
それは、もしかすると歌手陣の力量の違いもあるのかも知れません。
フィッシャーディスカウを始めとするクリュイタンス盤の陣容は充実していますから。
私は、コルボ盤を聴いて、その天からの慈しみの光に魅了されてしまって、こちらを愛聴するようになりました。
三善先生は先月お亡くなりになったのですよね。
哀悼の意を表したいと思います。
(三善先生のレクイエムが出てくるとは、さすが ぬくぬく先生さん ですね)