★ メンデルスゾーン フィンガルの洞窟 ★
この曲はメンデルスゾーンが20歳の頃、スコットランド北西の沖にあるヘブリディーズ諸島内のスタッファ島を訪れた際の感銘を基に作曲された、所謂演奏会用序曲である。
この無人島には海水侵食による見事な洞窟があり、当地の古謡「オシアン」に登場する英雄フィンガルにちなんで「フィンガルの洞窟」と呼ばれているそうだ。

〇 風景画 〇
この曲は、絶海に浮かぶスタッファ島、そしてそこのジュール・ヴェルヌの地底旅行にでも出発できそうな地球の入り口、壮大な洞窟を音楽で表現している。
メンデルスゾーンに激しい敵意を示したワーグナーでさえ、メンデルスゾーンを『第一級の音の風景画家』と評し認めていたのだ。 

ちなみに、ワーグナーの敵意は「最高の教育を受けた才能あるユダヤ人は、我々に一度も深い感動を与えたことも無いのに、最高の栄誉職に就いている」というような言葉に如実に現れている。
これは生まれながらにして裕福な家庭に育ったメンデルスゾーンへのやっかみも半分入っているだろうが、鋭い突っ込みでもあると思う。

「深い感動を与えたことも無い」という箇所は、メンデルスゾーンの音楽性の一面を突いていると思うのだ。
彼は当時のロマン派音楽の趨勢である半音階的な音創りを嫌った。
生まれながらに裕福で、正に当時最高の教育を受け、天賦の才能を幼い頃から磨き上げた神童。
器用で、音楽に於いても高いテクニックを発揮した全音階的な音創りは、宿命的にエモーショナルな側面に欠けていた。

この点で正反対だったのが、やはりワーグナーなのだろう。

〇 抑制的なロマン主義 〇
だが、私はバッハ、モーツァルトを敬愛してやまなかったこの「抑制的なロマン主義者」とも言えるメンデルスゾーンの音楽が好きだ。
端正で、隙が無く、見事な構築美を醸し出す。

この「フィンガルの洞窟」においても、それは言えると思う。
曲はソナタ形式で書かれており、第1主題は絶海の孤島スタッファ島全景を現したかのように思える。
第2主題は大きな波に洗われる不気味な口を開けた洞窟。
私の印象はそのように、絶海という侘しさや人間の叡知を超えたものへの畏敬の念までを含めたメンデルスゾーンの音楽表現に思えている。
以降、リストやリヒャルト・シュトラウスの「交響詩」へと流れが出来ていく。


<今日の一枚>
たまには、管弦楽曲の名曲集のようなものに浸ってみるのもいいものだ。
書き物をしている時などには、ピアノ曲かこうした管弦楽曲が邪魔にならずに良い。
音楽もTPO。
カラヤン+ベルリン・フィルの美音はそんな時には安心できる。

■モルダウ/カラヤン名曲コンサート [Limited Edition]
 ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

収録曲は下記のようにバラエティに富んでいる。
スメタナやシベリウスもなかなかの出来だ。
1. 交響詩《モルダウ》
2. 交響詩《前奏曲》
3. ハンガリー狂詩曲 第2番
4. 交響詩《フィンランディア》作品26
5. 舞踏への勧誘 作品65(ベルリオーズ編)
6. シチリアーナ(リュートのための古代舞曲とアリア 第2組曲より)
7. 序曲《フィンガルの洞窟》作品26

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<推薦盤1>
この10分足らずの曲を中心にしたCDはあまり無いと思うが、巨匠クレンペラーの「夏の夜の夢」とカップリングされたCDは入手しやすくてしかも名演と言ってよいだろう。

■メンデルスゾーン:劇付随音楽「真夏の夜の夢」
 オットー・クレンペラー指揮 フィルハーモニア管弦楽団

1. 序曲「フィンガルの洞窟」op.26
2. 劇付随音楽「真夏の夜の夢」

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2013.08.29 Thu l メンデルスゾーン l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ モーツァルト ピアノソナタ第8番イ短調K.310 ★
このイ短調のソナタはモーツァルトにとってどんな意味があったのだろう。
良く言われる通り、この曲はモーツァルト初めての短調のピアノソナタであり、結局この後 K457ハ短調(第14番)のソナタと合わせて生涯でも2曲のみの短調で書かれたピアノソナタとなった。
この曲が作曲された1778年頃のモーツァルトはなかなか大変な状況だった。

〇 モーツァルトの憂鬱 〇
モーツァルトの人生は正に旅の連続であり、その旅毎に音楽家として見違えるような成長を遂げていった。
私はモーツァルトの天才は、旅先での経験を真綿の様に吸収していった、その才能にこそあると思っている。

・天敵コロレド
さて、イタリア(ミラノ)、ウィーン、ミュンヘンと旅を重ねて、モーツァルトは1775年の3月にザルツブルクに帰ってきた。
しかし、そこで待っていたのはコロレド大司教の冷遇だった。
このコロレドさん、ザルツブルクからモーツァルトを追い出した人物としてある意味「悪名高い」人物だが、尊大ではあっても特に無教養で粗雑な人間であった訳ではないようだ。
しかし、音楽に対する考え方が古く、教会的な声楽中心主義であり、器楽曲は毛嫌いしていた。
従ってモーツァルトを厚遇する理由も無く、食事の序列も使用人並の末席に据えられた。
コロレドからしたらモーツァルトの身分はただの「楽士長」であり、当たり前のことだったのだろう。
しかしこれは、ウィーンでのマリア・テレジア妃やイタリア・ミラノでフィルディナント大公から賓客扱いを受けたモーツァルトにとっては許しがたい侮辱であったようだ。

・オペラハウスが無い
さらに、音楽上の問題点として考えられるのが、当時のザルツブルクにはオペラを上演出来る箱のないことだった。
その当時ハプスブルク帝国界隈では 音楽家の栄誉=オペラでの成功 と言っても過言では無かった。

そんなこんなで、最早故郷であるザルツブルクは、モーツァルトにとって「我慢の出来ない土地」になってしまっていたのだ。
何かにつけて口煩い存在でもある偉大な庇護者「父レオポルト」から独立する時期にもきていたのかもしれない。

〇 パリへの旅 〇
そこで、また新天地(新職)を求めて、モーツァルトはパリへと向かうことになる。
今回は父レオポルトではなく母マリア・アンナが同行するのだが、これがまた不幸を呼ぶことになってしまう。

〇 アロイジアへの恋 〇
旅行は、ミュンヘンからマンハイムを経てパリに入ることになる。
ミュンヘンではバイエルン選帝侯に就職のアピールをするものの、体よくあしらわれ、失意の内にマンハイムに到達する。
そこで、アロイジア・ウェーバー嬢に出会い、恋に落ちる。(モーツァルトは結構簡単に恋愛する)
このアロイジア嬢はウェーバー家4人娘の次女で、3女が後にモーツァルトの妻になるコンスタンツェ嬢である。
モーツァルトも、結構ややこしいところで恋愛をしているのである。

アロイジアとはかなりいい感じであったようだが、父の命令もあって後ろ髪を引かれながら、彼はパリへと向かう。

〇 失恋と母の死 〇
パリでは、いきなり土砂降りの雨でずぶ濡れになったり、所持金も底をつき、安宿の寒い部屋で母は息子の活躍を祈っていた。
かつて、モーツァルトを天才少年として持て囃したパリの人々は成人したモーツァルトには関心を示さなかった。
それどころか、あくどい興行主や悪い貴族に騙されて、約束の作曲料を反故にされたり、散々だった。

そこに、あれほど熱烈恋愛だった筈のアロイジアには、どうやら別の恋人が出来たようで、振られてしまう。
さらに、最大のダメージとなったのが愛する母の死だった。

不幸な旅の連続の上に、パリでは懸命に働く息子から離れて、薄ら寒い安宿で疲れ果てていたのであろう。
1778年7月3日、母は帰らぬ人となってしまった。
モーツァルトの芸術上、決定的な人生イベントは「母の死」「結婚」「父の死」だと私は感じているが、精神的に一番ダメージを受けたであろう「母の死」をパリの地で迎えることになってしまったのである・・。


ふぅ、長々と思い出すままに書いてきたが、このソナタの場合には、背景に少なくともそのような「人生」があることに思いを馳せた上で鑑賞するほうが味わい深いと思っている。

〇 直進的な悲劇性 〇
私はこの20分足らずのピアノソナタを聴く時に、言い知れぬ悲しみを感じるのだ。
第1楽章の冒頭から、ひたむきに真っ直ぐ進む悲しみのテーゼ。
勿論、この楽章は所謂弁証法的ソナタ形式だ。
絶え間ない16分音符の動きは、どうにもならない苛立ちすら感じさせ、楽章の最後でハ長調に転じるのだが、それまでもが悲劇性を弥増すばかり・・。

そして、かのアインシュタインが言った「最早このソナタには社交性が無い」と。
ニューヨークのピアポント・モーガン図書館に所蔵されているこのソナタの自筆譜には『1778年パリ』とだけ記されている。
従って、上記の不幸な出来事との関連を決定付ける根拠は何も無い。

〇 アンダンテ楽章から悲しみへ突っ走る 〇
第2楽章はモーツァルトらしい、慈しみに満ちたアンダンテ楽章。
調性はイ短調の平行長調、下属調にあたるヘ長調。
第3楽章の疾走感との対比は、やはり見事だ。

〇 ひた走る悲しみ 〇
最終楽章の留まる事の無い悲しみは、やはり母の死と無縁ではないと感じざるを得ない・・・。
華やかなパリで、他にこのような悲しみを表現する必然性があったとは、私には思えないのである。


<今日の一枚>
さて、この悲しみのソナタを誰で聴こうか。
リパッティの名演を思わせるピレシュにしたい。
真摯に、悲しみの情感豊かに、数ミリのタッチを疎かにしないピレシュの演奏は大好きだ。
このCDは、ピアノソナタ第11番(トルコ行進曲つき)でもご紹介した、ピレシュの輸入盤だ。
国内盤もあるのだが、かなり割高になるのと、アマゾンの販売では在庫切れになった途端にサードパーティ業者が法外な値段を付けて販売し始めるため、私はこちらをお奨めしたい。
■モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集3 (全集からの分売)
 アリア・ジョアン・ピレシュ(P)

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全集全てでもリーズナブルなので、輸入盤なら尚お得感がある。
■Mozart: Complete Piano Sonatas [CD, Box set, Import]
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<推薦盤1>
このソナタには伝説的なリパッティの名演が存在する。
33歳の若さで夭折したルーマニアが生んだ孤高のピアニスト、リパッティ。
録音が古いので、音質が悪いことは否めないが、他に残されているショパンやシューマンのコンチェルトなどよりは遥かに聞きやすい。
多少音が歪んでしまう部分もあるのだが、ノイズに悩まされるということはないと思う。
ノーブルで、純粋で、凛とした悲しみの表現になっている。
これは1950年7月の録音(ライブ)で、リパッティはこの年の12月に病気で亡くなっている。
■ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル
 ディヌ・リパッティ(P) 他

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<推薦盤2>
内田光子のモーツァルトは本当に良い。
モーツァルトのソナタ全集を録音する際にも、1曲1曲ピアノの調律を曲に合わせて調整している。
所謂平均律ではないのだ。
深い敬愛の念をもって、研究し尽くしたモーツァルトの悲しみの音楽が表情豊かに訴えかけてくるようだ。
特に第2楽章のアンダンテは例えようも無く美しい。
■モーツァルト:ピアノソナタ第8番&第11番&第14番&15番
 内田光子(P)

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2013.08.26 Mon l モーツァルト l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ フォーレ 夜想曲集 ★
今日は、フォーレで行こう。
ガブリエル・フォーレ、オルガン奏者を経てサン=サーンスにピアノ・作曲を師事したフランスの作曲家だ。
ショパンがそうだったように、フォーレも大規模な作品よりも小品にこそその天才を発揮した作曲家であったと感じている。
世に言う3大レクイエムの一つがフォーレの『レクイエム』で、日本でも人気があるが、室内楽やピアノの小品『舟歌』『即興曲』などにも珠玉の名品が並ぶ。

〇 夜想曲 〇
この夜想曲というジャンルは、イギリスのフィールドに始まりショパンによって確立された分野と言っていいだろう。
ノクターン(nocturne)は英語だが、イタリア語ならばノットゥルノ(notturno)ドイツ語ならばノクチュルネ(nocturne)、そしてフランス語ならノクチュルヌ(nocturne)だろうか。

発音はどうでもいいが、ショパンのノクターンに比べるとフォーレのそれは、シンプルで瞑想的な衣を纏っているように思う。

フォーレのピアノ曲には、パターン的な書法が見られて、特に初期の作品に多いのだが、旋律はスタティックで伴奏は分散和音というシンプルな書法を、固定的に見てしまうと魅力を発見できないかも知れない。

その為か、フォーレのピアノ小品を、まるで歌曲の伴奏だけを聞いているようで詰まらない、との評を聞いたことがあるのだが、私はそうは思わない。
同時代のドビュッシーやサン=サーンス、そしてワーグナーからも影響を受けつつ、独自の旋律(極めてロマン的であったり、無調の貌が覗いたり)と和声を保ち続けた稀有な存在で、ピアノ小品にもその特徴は遺憾なく発揮されていると思う。

〇 フォーレ:夜想曲集 〇
フォーレの夜想曲は全部で13曲残されている。
その作品群を大別すると、1番~8番と9番~13番に分けられると思う。
8番までは、瞑想的でありながら大変優美な旋律で書かれているが、9番からは構成もより簡素な佇まいでストイックな印象を受ける。
旋律も短いものの組み合わせが多くなる。
これはフォーレの聴力の衰えと関連しているのかもしれないが、作品の質が変化していることは間違いないと感じている。
後期作品は、不協和音も転調も苛烈な使い方になる。
さらに言うならば、前期の5番と6番には作曲時期が開いていることもあり、6番~8番を別の作品時期と考えても良い。

〇 第6番は傑作 〇
中でも第6番はフォーレの作品群の中でも傑作と言って良い逸品だ。
曲は大きく3部形式。
最初の主題では、変則的な構成のため、フォーレらしい瞑想的なノクターンが始まる。
3拍子なのだが、落ち着かない変則性が面白い。
不協和な音から解決する際にも、穏やかな移行を考えているのが印象的だ。
 
中間部の主題は、アルペジオによって導かれている。
こういう手法はフォーレのお得意と言っていいのだろう。

〇 バッハ的とも言える第13番 〇
フォーレ最後のピアノ曲でもある、夜想曲第13番は素晴らしい曲だ。
ここでは、聴覚の疾患が顕著になり始めた頃の鬱屈した曲調は超越している。
達観したような出だしからカノン風な組み立てでバッハを思わせる。
しかし、曲は自由に書かれており、しかも独特の和声を聞かせる。
最早、夜想曲というジャンルには縛られていないように感じる。
中間部は、嵐のように激しい想いを鍵盤にぶつけるようだ。
この曲は恐らくピアニストにとって陶酔の曲だ。
追想、諦観、焦燥、歓喜、安寧・・・。
間違いなく、フォーレの最高のピアノ曲だろう。


<今日の一枚>
フォーレの夜想曲の全曲となると、それほど選択肢は広くないが、今日は若き日のハイドシェックで聞こう。
フランスでよりも日本で大変ファンの多いピアニストの一人だが、若さ溢れるハイドシェックの情熱とロマンティシズムがフォーレでは説得力となっていると感じている、お気に入りの一枚。
一音一音、微妙に変化していく和声を丁寧に語っているところが、ハイドシェックの特徴か。
■フォーレ:夜想曲
 エリック・ハイドシェック(P)

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<推薦盤1>
ハイドシェックは私の推薦盤だが、さらに挙げるとしたら同じくフランス人であるジャン・ユボーだろう。
ハイドシェックはフランス人とはいえドイツ系の家系だが、ユボーは生粋のパリっ子だ。
流麗なタッチで、ピアニッシモが特に美しいと思う。2枚組みだ。
■フォーレ:ピアノ作品全集(1)
 ジャン・ユボー(P)


ディスク:1
1. 夜想曲(第1番~第9番)
ディスク:2
1. 夜想曲(第10番~第13番)
2. 主題と変奏 嬰ハ短調op.73
3. 即興曲(全曲)(第1番~第5番)
4. 3つの無言歌op.17

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2013.08.22 Thu l フォーレ l コメント (1) トラックバック (0) l top
★ ベートーヴェン ピアノソナタ第28番イ長調 ★
ベートーヴェンはNo.付きピアノソナタを32曲残している。
それは、その作曲時期相応の内容と輝きを持っており、正に甲乙付け難い。
従って、再生芸術を楽しむ側から見た作品に対する姿勢は、音楽を楽しむシチュエイションと気持ち次第で選択が変わるだけである。
ただ、ベートーヴェンの場合、ピアノソナタと言えども、その構成や奥の深さはシンフォニー並みであり、演奏上求められるファクターも、優美で繊細なタッチよりもスケール感の大きい堂々とした風格、分厚いハーモニー、あるいはピアニストの崇高な人格にまで話が及ぶことになる。
しかし、この28番イ長調は後期ソナタの中で異彩を放っていると感じる。
特に第1楽章の冒頭は、繊細なピアニズム無しでは、私は聞けない。

〇 第1楽章の歌謡性 〇
私は中学生の頃にこの曲を始めて聞いたのだが、冒頭で驚愕した。
これがベートーヴェン?嘘でしょ・・。
何と優しい歌を謡っているのだろう。
だが、モーツァルトでもなく、ハイドンでもない・・、聞き進める内に、やはり紛れも無くベートーヴェンだ。

第1楽章、このいきなりの緩徐楽章の不思議な浮遊感は何だろう。
心地良いのに、どこか落ち着かない・・。
ピアニストの内田光子氏の話を読んで、初めて気付いた。
この楽章はイ長調なのだが、属和音から始まってなかなか主和音が出てこないのである。
美しく、極めて歌謡的なメロディーが続く中で、結局最後まで和声的な解決を見ずに進むのだが、音楽的に破綻することなく、それどころかそれを感じさせない凄腕・・・。
当たり前なのだが、ベートーヴェン、どんでもなく凄い人だ。

〇 ドロテア・エルトマン男爵夫人 〇
第1楽章の何かを探し求めるような浮遊感、憧憬、癒し?
この謎を解く鍵は献呈者にあった。
この作品101のソナタはドロテア・エルトマン男爵夫人に献呈されている。
ドロテアさんはベートーヴェンの弟子であり、作品の良き理解者であり、優れた演奏家(ピアニスト)であった。
彼女の才能をベートーヴェンも高く評価していた。

この曲はエルトマン男爵と結婚した彼女が、末の子供さんを亡くして悲嘆に暮れていた時に「いく度となく、あなたのためにと思って作られたこの曲をお受け下さい。」(ベートーヴェン書簡)とのメッセージと共に捧げられている。

また、ベートーヴェンの死後メンデルスゾーンがエルトマン夫人にミラノで会った際のお話も残されている。
エルトマン夫人はメンデルスゾーンにピアノでベートーヴェンの曲を披露した後で、思い出話をしたそうだ。

丁度、末の子供を亡くした時(作品101が献呈された頃)夫人はベートーヴェンの招待を受けた。
ピアノの前に座った彼は「さあ、ご一緒に音楽でお話をしましょう」と言うと、それから1時間あまり夫人のためにピアノを弾き続けたそうだ、彼女を慰める為に。
既に聴覚に異常をきたしていたベートーヴェンは他人の前でピアノを演奏することは殆ど無かったそうなのだが・・。

このような背景がこのソナタには在った。
第1楽章の主音を求める彷徨いは、ドロテアの亡くしたお子さんを想う気持ちであり、どんなに求めても決して手の届かない大切なものを慈しむ心であり、全てを包含して慰めるベートーヴェンの癒しなのではないだろうか・・。

〇 勇気へのエール 〇
第2楽章は元気な行進曲風の3部形式。
スケルツォ的な楽章になっている。
中間部は一転してカノン風。
対比がうまい!
この溌剌とした音楽は、生きて行く勇気へのエールか。


〇 対位法を駆使した第3楽章 〇
序奏つきのソナタ形式。
この序奏、私にはベートーヴェンがドロテアに優しく語りかけているように聞こえる。
主題提示の直前に第1楽章が回想される。
そして、決然と主部が開始され、展開部では4声のフーガで堂々と音楽は高揚していく。
コーダでもバッハを思わせる対位法が立派だ。
これは悲しみを乗り越えて生きる者への賛歌だろうか。


<今日の一枚>
ベートーヴェンのピアノソナタと言えば・・、バックハウスと相場は決まっていそうなものだが。
このソナタはエミール・ギレリスの演奏を私は好む。
それは偏に冒頭の数小節の音色が私の琴線に心地よく触れてくる、という理由からだ。
第1楽章は少しゆったりとしたテンポで、瞑想的でもある。
強靭なタッチから繰り出される美しい音色、骨太なのだが無駄な立ち回りは一切演じない。
しかも優美で繊細な表情は逸品だ。
これはハンマークラヴィーアとのカップリングだ。
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番&29番《ハンマークラヴィーア》
 エミール・ギレリス(P)

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<推薦盤1>
さすがに内田光子さんはこの曲の真髄を聞かせてくれる。
第1楽章の丁寧でしっとりとした語り口が素敵だ。
第2楽章では、とても歯切れの良い演奏を繰り広げ、第3楽章序奏では深く沈潜し、最後は晴れやかに結ぶ。
これもハンマークラヴィーアとのカップリングだ。
■ベートーヴェン:ピアノソナタ第28番&第29番
 内田光子(P)

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<推薦盤2>
やはりバックハウスに触れない訳にはいかないだろう。
ここではスケールの大きな構成と絶えることの無い歌を巨匠が聞かせてくれる。
(偉大な芸術を、出来れば全集で手元に置ければ最高である。私も宝物として大切にしている。)
■ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第28番、第29番「ハンマークラヴィーア」 [Limited Edition]
 ヴィルヘルム・バックハウス(P)

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2013.08.19 Mon l ベートーヴェン l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ 荒井由美 ひこうき雲 ★
久しぶりに映画館に足を運んで、ジブリの「風立ちぬ」を観た。
さすがにこの映画のテーマでは、映画館の中の年齢層は高めで、いつもジブリの映画で見る小さなお子様の姿はあまり見かけなかった。
このブログでは映画を語る積もりは無いので、映画の筋や感想については他のブログに譲るとして、音楽だ。
エンディングに荒井由美さん(敢えて旧姓で呼びたい)の『ひこうき雲』が使われるのは映画を観る前から知っていたが、この曲が映画館に流れると、初めてこの曲を聴いた衝撃を思い出した。
今聞いても十分新鮮なのだ。

〇 斬新なコード進行 〇
この曲のキーは変ホ長調(E♭)でイントロのコード進行は、トニック-サブドミナント-トニック-サブドミナント という流れが基本だ。
この間、B♭音が持続的に曲を支えている。
私はこういうコード進行って、当時の所謂フォークソングには無かったのではないかと思う。

もっと驚くのは、サビの部分。
「かけていく」の部分だ。
ひこうき雲
Gm7→B♭m7→A♭maj7 というコード進行なのだが、問題はこのB♭m7だ。
定石とも言えるドミナントモーションの中で、突然提示されるB♭m7。
これでは勿論和声的に解決しないわけで、どこへ行くのだろう・・・。
特に最後の繰り返し部分では、その高音がとても新鮮な音に聞こえる。

この点については、松任谷 正隆氏が後日この音で荒井由美さんの才能に惚れたとまで仰っていたような気がする。
(多分言っていた)

この曲のベースは細野晴臣さんが弾いているのだ。
キーボードは勿論 松任谷正隆さん、ドラムスは林立夫さん、錚々たるメンバーだ。

〇 瑞々しい荒井由美さん 〇
私は、松任谷由美さんの音楽は大好きだが、やはり荒井由美で発表したアルバム『ひこう雲』『MISSLIM (ミスリム)』の2枚が、衝撃的で瑞々しくて、忘れられない。
そして、今でもその音楽は少しも古くはならず、新鮮だ。


<今日の一枚>
このベストアルバムばかりのご紹介で恐縮だが、ユーミンを聞くベストは現在ではこれだろう。
■松任谷由実40周年記念ベストアルバム 日本の恋と、ユーミンと。 (通常盤) [Original recording remastered]

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ジブリとタイアップした特別企画限定盤アルバムも出ている。
■ユーミン×スタジオジブリ ひこうき雲 40周年記念盤 (CD+DVD)(完全生産限定盤)(LPサイズ絵本仕様) [CD+DVD, Limited Edition]

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2013.08.16 Fri l 松任谷由美 l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ ドビュッシー 『子供の領分』 ★
今日はクロード・ドビュッシーのピアノ曲『子供の領分』だ。
シューマンの『子供の情景』を思い出す方もいらっしゃると思うが、『子供の情景』は大人のイマジネーションの中での子供の世界、みたいなものを描いていると思う。
この『子供の領分』は、それともちょっと違って、純真であどけない、だけどちょっとイタズラだったりもする子供の様子を、非常にスマートに音楽にした、そんな作品だと思っている。

ドビュッシーのこの姿勢は偏に作曲動機に関わっていると思う。
ドビュッシーはこの曲を1908年に完成させ出版しているが、当時3歳の可愛くて仕方が無かった愛娘クロード・エマの為にこの曲集を書いているのだ。

〇 ちょっとゴシップねた 〇
音楽の本質とは関係ないのだが、この愛娘シュウシュウ(ドビュッシーは40代半ばで出来た子、エマをそう呼んで可愛がった)の母親はエンマ・バルダックで、ドビュッシーとは1908年に結婚している。
エンマ嬢は再婚で、既に最初の夫である銀行家シジスモン・バルダックとの間に2人の子供をもうけていた。(ラウルとエレーヌ)
ややこしいのは、ここにガブリエル・フォーレが絡んでくるのである。
(3大レクイエムの作者のフォーレだ)
フォーレとエンマは1890年頃から親しい関係を持っており、銀行家との間の娘(エレーヌ)はフォーレの子ではないかと言われている。
フォーレのピアノ組曲『ドリー』は、このエレーヌの為に書かれている。
ドリーというのは、エレーヌの愛称だ。
エンマはその後ドビュッシーと結婚し、シュウシュウが生まれている。

ドリーの父親の件は、ドリーが92歳で亡くなるまで伏せられていたそうだ。
フォーレさん、エンマさん、とにかくお騒がせなのだ・・。


〇 英語のタイトル付き 〇
この曲は以下の6曲から成っていて、それぞれに英語のタイトルがついている。

①Doctor Gradus ad Parnassum「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」
パルナッソス山(ギリシャの霊峰)に続く階段(グラドゥス)というタイトルを持つ、クレメンテのピアノ練習曲集。
この高度なテクニックを要する練習曲集を娘がやがては弾きこなすことをイメージしつつ(博士)、途中でほったらかしてしまったりする可愛い我が子を描いている。

②Jimbo's lullaby「象の子守歌」
Jimbo(or Jumbo)というのはシュウシュウが持っていた象の縫いぐるみではとの説もあるし、単にスペル違いという説もある。
ここはドビュッシーらしく、全音音階で書かれており、調性の無い不思議な感覚が新鮮だ。

③Serenade of the doll「人形のセレナード」
シュウシュウが大事にしていた人形へのセレナードであろうか。
ドビュッシーの紡ぎ出す独特の美しい「音」が、ここにもちゃんとある。

④The snow is dancing「雪は踊っている」
雪の舞い落ちる光景と、それを眺める子供の心象が、シンプルな書法で描かれている。

大変幻想的な曲だと思う。

⑤The little shepherd「小さな羊飼い」
穏やかな草原のイメージ。
短くてシンプルな曲だが、私は6曲の中でこの曲が一番好きだ。
強い音は不要、とても繊細なタッチと風にそよぐような音の流れが必須。
24,5小節目の同音型の繰り返しが最も繊細さを要求される。

⑥Golliwogg's cakewalk「ゴリウォッグのケークウォーク」
ゴリウォッグは黒人少年の人形のキャラクターの名前だそうで、ケークウォークというのは現在でも踊られる黒人の軽快なダンス。
ここで特筆すべきは中間部に現れるワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」のモティーフだ。
しかし、すぐにシュウシュウが横に首を振るかのような音で、打ち消される・・。
ドビュッシーは一定のワーグナーの影響を受けつつも、そりが合わなかったことは有名で、これは彼独特のパロディか。


<今日の一枚>
今日はやはりドビュッシーということもあるから、フランスのピアニストで聞こう。
パスカル・ロジェだ。
ロジェのピアノはとても優雅でアーティキュレーションをあまり強く取らないのだが、この曲の場合それがうまく嵌っていると思う。
テクニックは申し分ない。
■ドビュッシー:ピアノ曲集 (2CD)
 パスカル・ロジェ(P)
このCDは2枚組みで、ドビュッシーの名曲がずらりと並んでいる。

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<推薦盤1>
やはりフランソワのドビュッシーはいい。
特にこの曲集のように、愛らしいシュウシュウの為の音楽となると、単なるテクニックでも無く、人生の苦楽を内包するでも無く、杓子定規にならない自由な遊び心までを音に出来るフランソワだろう。
■ドビュッシー:ピアノ集(3)
 サンソン・フランソワ(P)

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2013.08.13 Tue l ドビュッシー l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ シューベルト ピアノ五重奏曲イ長調 『鱒』 ★
今日はシューベルトの鱒でいこう。
ピアノ五重奏曲 イ長調 D667,(Op.114) は、シューベルトがまだ若い22歳の頃の幸せな作品だ。
この曲は5楽章構成なのだが、第4楽章が自作の歌曲「鱒」から主題を取った変奏曲の為『鱒』(Trout)というタイトルで呼ばれている。

小学生の頃、音楽の時間にこの曲のことを友人が「たる」と呼んでいたのを思い出す。
(惜しい!うん、樽と言えばクロフツにそんな名作があったぞ、と当時海外物の推理小説を読み耽っていた私は思ったものだ)
勿論、これはお魚の「ます」だ。

この原曲である、歌曲「鱒」は正に漁師と鱒のお話で、とても実も蓋も無い言い方をすると

「綺麗な小川で泳いでる鱒を見ていたら、それを釣り人が獲ろうとしていた。
こんなに澄んだ水ならば、あの釣り人の針にかかることはあるまいと 見ていたら
釣り人は、川を掻き混ぜて濁らせて鱒を捕まえてしまった。」

という内容である。
だが、このシューバルト(Schubart:シューベルトではない)の詩には続きがあって、この鱒のお話を、若いお嬢さんへの男性の誘惑に喩えて教訓めいた結びになっている。
このフレーズをシューベルトがカットした理由は判らないが、歌曲なので俗世的な教訓まで落ちを付けるのを避けたのだろう。

〇 編成 〇
ピアノ五重奏曲は通常ならば、ピアノ+弦楽四重奏(第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリン、ビオラ、チェロ) というのが一般的だが、この曲は第2ヴァイオリンの代わりにコントラバスが入っている。
それにははっきりした理由がある。
そもそもこの曲の作曲をシューベルトに依頼したのは、ジルヴェルター・パウムガルトナーという鉱山技師だそうで、この人はチェロを趣味にしていたようだ。
恐らく自分がチェロを演奏することを前提に、コントラバスの通奏低音をバックにチェロがメロディラインや内声部を奏でる様な活躍を望んだのだろう。
(このとても良く出来たお話は、原典がどうもはっきりせず、真贋の程定かではないと付記しておきます)

〇 第4楽章 変奏曲 〇
この曲の第4楽章が有名な「鱒」の変奏曲だ。
まず、弦楽器であの美しい主題が提示される。
原曲のリートは変ニ長調だが、ここではヴァイオリン属用にニ長調に移調されている。
第1変奏では主題提示で沈黙していたピアノが活躍する。
ここでのピアノは所謂両手ユニゾンが目立つ。(ここだけでは無いのだが)
その為、ピアノの奏でるメロディは大変訴求力があって、弦楽に負けない力強さを持っている。
(ピアニストには難曲だが)

このように、この楽章では各楽器が主役の座を持ち回りながら、魅力的な変奏曲(第6変奏まで)を作り上げていく。

〇 スリリングな第1楽章 〇
この曲は歌曲「鱒」を主題にした第4楽章が余りにも有名であるし、リズミックで溌剌とした第3楽章との対比などまことに素晴らしいのだが、私は第1楽章を一番好んでいる。
この楽章、最初からまるで見得を切るかのように主和音の強奏で始まる。
アンサンブルの中でのこの手法はベートーヴェンを髣髴とさせる。
(ベートーヴェンで言うと、弦楽四重奏よりもやはりピアノが入る「大公」のイメージ)
ソナタ形式で書かれたこの楽章はイ長調で始まるのだが、いきなり転調し始める。
それも秘めやかに・・・。
シンプルな主題が各楽器で歌われるのだが、展開部ではコントラバスのソロが入ったりする。
ジャズじゃあるまいしなどと仰る無かれ。
コントラバスが入った為に、チェロとピアノが通奏から開放されて、ピアノなど左手もかなり高音で頑張っている。
編成の妙も相俟って、各楽器が実に活き活きとスリリングなアンサンブルを聞かせてくれるのが、この曲の特徴であり、中でもこの第1楽章が素晴らしいと思っている。


<今日の一枚>
この曲は、本当に様々な四重奏団やピアノと弦楽の組み合わせで録音が残されている。
好みも非常に分れる曲だと思う。
私は特にピアノの透明感が欲しいと思っている。
清流を鱒が泳いでいくイメージ・・。
そこで、今日はリヒテルでいく。
■シューベルト:ピアノ五重奏曲「鱒」
 スヴャトスラフ・リヒテル(p)/ボロディン弦楽四重奏団員(ミハイル・コペルマン ドミトリー・シェバーリン ヴァレンチン・ベルリンスキー)/ゲオルク・ヘルトナーゲル(cb) 1980録音

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<推薦盤1>
今日の一枚のリヒテルは明らかに私の推薦盤だが、ブレンデルもいい!
若い弦楽をブレンデルが纏めている感じのアンサンブルだが、非常にバランスも拮抗感も程良くて、心地よいのだ。
■シューベルト:ピアノ五重奏曲<ます>/モーァルト:ピアノ四重奏曲第1番
アルフレッド・ブレンデル(P),トーマス・ツェートマイアー,タベア・ツィンマーマン,リヒャルト・ドゥヴェン,ペーター・リーゲルバウアー

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2013.08.07 Wed l シューベルト l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ ブラームス 交響曲第1番 ★
このブラームスの1番のシンフォニー(ハ短調作品68)は、本当に聞き応えのある曲だ。
ブラームスはこの曲を完成させるのに約20年の歳月を費やしている。
(19年という説と21年という説を聞いたことがあるが、ここは約20年でいいだろう)
これには、例によって大変有名なお話があって、

「ブラームスは、シンフォニーを作曲するならば、敬愛するベートーヴェンのシンフォニーを超えるものを作らなければならない、と心に決めていた」

というものだ。
多分そうなのだろう。
ワーグナーが「ベートーヴェンの後にシンフォニーなど書けるものか」と言い放ち、楽劇の創作に邁進したというエピソードも思い出す。

今でこそ、毎日のように世界のどこかでベートーヴェンの作品は演奏され、日本では何故か年末になると第九を聞くと言う習慣まで出来てしまった。
しかし、当時のヨーロッパではベートーヴェンの第九シンフォニーを『新譜』として迎えた訳で、聴衆はもとより作曲を生業とする人達にとっては、驚愕であり、とんでもなく高いハードルになったことは想像に難くない。
無論、物まねなど何の意味も無かっただろう。

だが、私はとてもロマンティックなので(?)、この無骨者(ブラームス)の恋心で紐解いてみたい。
そうだ、クララ・シューマンの存在だ。

〇 交響曲はステイタス 〇
その頃のヨーロッパでは、ハイドンやモーツァルトの逸品を引き継いだベートーヴェンの影響もあったのだろう、西洋音楽の作曲家にとって「優れた交響曲」を書くことは大きなステイタスであったようだ。
従って、シューマンもクララの勧めによって最初のシンフォニー「春」を1841年に作曲し、メンデルスゾーンが初演の指揮を執っている。(その時、ブラームスはまだ8歳の坊やだが)

〇 クララに認めて貰いたかった 〇
プロのピアニストであるクララもそのような認識があった訳で、ブラームスはシンフォニーを書くならばベートーヴェンの正統な後継者である自分を認めて貰いたかった。
ブラームス流の完璧な絶対音楽を標榜し、しかもそれを愛するクララに認めて貰いたかった・・・。
呻吟の20年間は、そのようにクララへの愛を胸に過ぎていった・・と私は考えてみた。

〇 アルペン・ホルンと歓喜の歌 〇
この困難な仕事を自分なりに遣り遂げたと思ったブラームスの表明が、第4楽章に現れる。
第1楽章を髣髴とさせる序奏につづく、第2部の序奏では調性も長調に転じ、アルペン・ホルンが朗々と歌い始める。
このアルペン・ホルンのメロディは過日、クララの誕生日を祝う手紙にこのメロディの楽譜と共に
"Hoch auf'm Berg, tief im Tal, grüß ich dich viel tausendmal"
 「高い山から、深い谷から、君に何千回も挨拶しよう」
なる詩的な台詞が添えられていた。
恐らく、何千人という聴衆の中でクララただ一人が、このアルペン・ホルンに秘められた愛のポエムを理解したことだろう。
(しかし、ブラームスとクララは生涯結ばれることは無かった。)

そして、ここの第1主題は第九の歓喜の歌に酷似したメロディであることは有名だ。
メロディそのものだけでなく、旋律の立ち現れ方まで第九を思わせる。
混沌・懊悩から開放・歓喜へ。

ブラームスは、これ以外にも第1楽章の提示部の終わりに「運命の動機」に似たモティーフを使用したり、敬愛するベートーヴェンへの尊敬の念と共に、それを自分がしっかり継承していくことを表明しているように感じる。

〇 序奏は特別 〇
この序奏は、後から書き加えられたと言う事だが、いきなり強奏で始まる。
ティンパニの、ドンドンドンという爆発的なリズムに乗って、弦が特徴的な半音階上昇のフレーズを奏でると、相反するように木管は半音階下降を奏する、まるで奈落の底に落ちていくように・・。
そして、この序奏にはこの半音階音型や2小節目の付点8分音符+16分音符の音型など、主題労作するネタがしっかり出現している。
ああ、ブラームスだ。

〇 音型の達人 〇
ブラームスという作曲家は、音型の達人と呼んで良いだろう。
それは、ブラームスが真に優れたメロディーメーカーでは無かったことの裏返しでもある。
ブラームスが、無限の泉の如く美しいメロディを生み出すドボルザークを羨んだというお話はこのブログでも紹介した覚えがあるが、ブラームスは一つの主題を大切に装飾しあの手この手で発展させる主題労作が得意であった。

この20年推敲を重ねたシンフォニーには、ブラームスの巧みな音型の扱いが随所に見られる。
上述の半音階上昇・下降やそのアレンジ、第3楽章の冒頭クラリネットが奏する鏡像音型(冒頭の主題の繰り返し部分は鏡像になっている)など、労作の中で論理的に音型を作り出し、しかもそれを感じさせないところがすごいのだ。


<今日の一枚>
この名曲にも所謂名演奏と言われるものが多い。
私がCDを選ぶ際に、とりわけ大切にしているのは、やはり冒頭の序奏部分だ。
ここのテンポ(遅すぎないこと)とアンサンブルの混沌度(決め付けないが、しっかり締めること)だ。
やはりこの演奏は素晴らしい!
最盛期のベームとベルリン・フィルだ。
■ブラームス:交響曲第1番
 カール・ベーム指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 1959年10月録音

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<推薦盤1>
ブラームスの1番は、ベームの盤を推奨するが、ヴァントの推進力も良い!
冒頭は少し速めのテンポでぐいぐい聞き手を引っ張って行く。
そして、管弦楽の各パートは大変緻密に計算し尽くされた音を重ねていく。
こういったアプローチがブラームスには必要なのだ。
これはヴァント2度目のブラームス全集からだ。
■ブラームス:交響曲第1&3番
 ギュンター・ヴァント 北ドイツ放送交響楽団



<推薦盤2>
堂々としたミンシュの演奏も特筆ものだ。
出だしのスピードはかなりゆったりしているが、気迫の籠もった迫力が清新だ。
そして、最終楽章の混沌から歓喜への心の開放の表現が堪らない魅力だ。
■ブラームス:交響曲第1番
 シャルル・ミンシュ指揮 パリ管弦楽団

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2013.08.02 Fri l ブラームス l コメント (0) トラックバック (0) l top