★ モーツァルト フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313 (285c) ★

まだまだ寒い日々が続いているが、そろそろ春の顔が見え始めた今日この頃、軽やかなモーツァルトを聴きたい。
この優雅にして軽快なフルート協奏曲は、1777年秋から1778年初頭にかけてマンハイム滞在時に書かれたと言われている。
当時のフルートはまだまだ音程が不安定で扱いにくい楽器であったようで、モーツァルトの書簡にはこのフルートと言う楽器を嫌っているような記述も見える。
額面通りに受け取っていいのかは、諸説あるようだが、とにかく2曲残したフルート協奏曲は、富裕なオランダ人であるドジャンという素人フルート愛好家からの作曲依頼で作られた。
モーツァルトがマンハイムで親交を持った、宮廷楽団のフルート奏者ヴェンドリングという人が仲介している。

実はドジャンからは『軽めの協奏曲を3つと、四重奏曲を何曲か』という注文であったにもかかわらず、モーツァルトは約束を守らずこの2曲の協奏曲と3つの四重奏曲を渡したようである。
しかも第2番の方は、オーボエ協奏曲を移調したもので、おやおや手抜き?と言いたくなるような仕事だった。
従って、ドジャンから受け取った報酬は約束の半分以下だった。
似たようなお話は他にもあるが、このマンハイム時代のモーツァルトが上の空状態だった理由は、恐らくアロイジア・ウェーバー(後に奥様になるコンスタンツェの姉)との恋の行方が気になっていたのだろう。

○ フルート協奏曲第1番 ト長調 K.313 (285c) ○
このフルート協奏曲、モーツァルトが嫌いだった楽器とはとても思えない程、のびのびと歌っている。
音域もフルフルに使い切って、可憐なメロディーがいかにも女性的な佳品だ。

1.第1楽章(Allegro Maestoso)
ト長調。4/4拍子のソナタ形式。
まず弦に第1主題が現れる。
第2主題は穏やかな表情で、堂々とした第1主題とは対照的だ。
モーツァルトのピアノコンチェルト的なメロディラインは、なんとも優雅だ。
独奏フルートが入って、平行調への転調などを交えて華やかな展開を重ねる。
この楽章、いかにもモーツァルトらしい、素直で明るいメロディが爽やかだ。

2.第2楽章(Adagio ma non troppo)
ニ長調。4/4拍子のソナタ形式。
ゆったりとした導入部に続いて、独奏フルートとヴァイオリンに第1主題が現れる。
ここでの独奏フルートは、たっぷりと歌うことが要求される。
弦との掛け合いが印象的な、美しいアダージョだ。

3.第3楽章(Tempo di Menuetto)
主調に戻り、3/4拍子のロンド形式。
出だしの3拍子を聴くと、「ああ!メヌエットか」と思える。
この楽章は独奏フルートが、出ずっぱりでかなりテクニカルな演奏を聴かせ、最後は緩やかに曲を閉じる。


<今日の一枚>
今日は以前ルツェルン歌劇場の主席指揮者も務めていたグラーフのフルートで聴いた。
第1楽章は、以前よく聞いていたハンス=マルティン リンデのフルートよりも堂々としている。
モーツァルトの指示に忠実だと言えるだろう。
グラーフのフルートは、力強さと典雅さを併せ持つ多彩さが良いと思う。
■ モーツァルト:フルート協奏曲集
ペーター=ルーカス・グラーフ(FL.)、レイモンド・レパード指揮 イギリス室内管弦楽団


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<推薦盤>
勿論、オーレル・ニコレもランパルも良い。
だが、ここはオーケストラも含めた総合力でベーム盤を推薦したい。
ヴェルナー・トリップとウィーンフィルの息はぴったりで(当たり前か・・)、ベームが全体を掌握しきっている。
コスパも大変良い盤だ。
■モーツァルト:フルート協奏曲第1番、オーボエ協奏曲、ファゴット協奏曲
 ヴェルナー・トリップ(FL.)、カール・ベーム指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団


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2015.03.18 Wed l モーツァルト l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ モーツァルト 交響曲第25番 ト短調K.183 ★

今日は爽やかにモーツァルトから始めることにした。
ディヴェルティメントでも良かったのだが、25番に手が伸びた。

Sturm und Drang(独)、日本語では「疾風怒濤」と訳されているが、これはゲーテの『若きウェルテルの悩み』などの作品に代表される、18世紀の文学運動のことだ。
ウィーンでこの流れを肌で感じたモーツァルトが作曲した曲がこの25番ト短調のシンフォニーだ。
当時まだ若干17歳の青年は、後に創作することになる弦楽五重奏曲第4番ト短調K.516やレクイエムニ短調K.626、そしてピアノ協奏曲第20番ニ短調K.466、交響曲第40番ト短調K.550などの短調で作られた傑作への兆しを、この小気味の良いシンフォニーで音楽史に刻み付けているのだ。

〇 映画「アマデウス」 〇
大分前の映画になるが、アカデミー賞を8部門で受賞した映画「アマデウス」で冒頭サリエリの自殺未遂?のシーンで、この曲の第1楽章が使われていた。
ちなみにこの映画のお陰で、アントニオ・サリエリさんはすっかり悪者になってしまった感がある。

〇 印象的な第1楽章 〇
この曲では、まず第1楽章Allegro con brio のシンコペーションを巧みに使った、何か急き立ててくるような緊張感の溢れるメロディが印象的だ。
このメロディが映画「アマデウス」でも効果的に使われており、一度聴くとなかなか忘れられない旋律だ。
このシンフォニーでは、冒頭のこの部分が正に「疾風怒濤」に相応しい箇所であり、演奏でもここをどう表現するかが大変重要になってくる。

〇 型通りに進む 〇
そして、第2楽章アンダンテ、第3楽章メヌエット、第4楽章アレグロ、とある意味型通りに曲は展開していき、第3楽章以外は全てソナタ形式で、調性は第2楽章(下属調平行調の変ホ長調)以外は全てト短調。
モーツァルトの中でも全体として、まだこじんまりした印象の曲ではあるが、私は愛らしいアンダンテもきりっとしたメヌエットもとても好きだ。
特にこのメヌエットはモーツァルトの短調の音楽らしく、情緒と美しさをもっており、ト長調の中間部との対比が素晴らしい。

〇 編成 〇
オーケストラの編成は、オーボエ2、ファゴット2、ホルン4、弦五部という小編成で、ディヴェルティメント風の弦が中心のアンサンブルになっている。
短調ということもあり、ホルンは4本編成で工夫している。


<今日の一枚>
今日は映画アマデウスでも指揮法の指導をしたという、サー・ネヴィル・マリナーでいきたい。
第1楽章は「疾風怒涛」というほど突っ走らないのだが、とてもバランスの良い緊迫感を作っていると思う。
さすが、モーツァルトの第1人者である。
■モーツァルト : 交響曲第25&29番、「アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク」
 サー・ネヴィル・マリナー指揮 アカデミー・オブ・セント・マーティン・イン・ザ・フィールズ

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<推薦盤1>
ブルーノ・ワルターがウィーン・フィルを振った名演が遺されている。
この25番は1956年ザルツブルク音楽祭のライブ盤だ。
ライヴならではの臨場感と、正に「疾風怒濤」のテンポで飛ばすワルターの入魂の演奏は一聴の価値がある。
■モーツァルト:交響曲第25番&第40番
 ブルーノ・ワルター指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

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<推薦盤2>
古楽器による爽やかな演奏も捨て難い。
ピリオド楽器による独特の軽みと風情を愛している方にはお勧めできる演奏だと思う。
■モーツァルト : 交響曲第25番、第29番&第33番
 トン・コープマン指揮 アムステルダム・バロック管弦楽団
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2013.10.27 Sun l モーツァルト l コメント (6) トラックバック (0) l top
★ モーツァルト 歌劇『フィガロの結婚』 ★

今日はモーツァルトの傑作オペラ『フィガロの結婚』を観よう。
今日はCDではなく、DVDを楽しむことにする。
やはり、オペラは総合芸術(演劇、音楽、美術)なので、出来れば映像があった方が圧倒的に楽しめる。

ここで、総合芸術だなどと言ってしまったのに何だが、観る側の私は気楽に楽しめる舞台の一つだ。
私の場合、子供の頃からオペラは好きなジャンルの一つだったのだが、人に話すと必ず変人扱いされた。
実は「変人」は自覚しているのでいいのだが、オペラが好きだからではない。

オペラというと確かに、大きな身体の外国人が意味の解らない言葉で(外国の作品なら当たり前だが)、大仰な身振り手振りを交えながら「好きだ!」「嫌いだ」「呪ってやる」などと力一杯歌う喧しい活劇で、オーケストラやら合唱やらバレエやら、果ては繁華街全部のセットや神々の神殿まで舞台に作ってしまう大層なものだから、日本ではとっつきが悪いのは事実だ。
しかも外国のオペラハウスが日本にやって来て上演するとなると、チケットがべら棒に高い!
今では1ナイト6万円くらいは当たり前だ・・。
大物歌手に百人以上の劇団付きの合唱団・バレエ団とオーケストラ、それに大道具小道具全て運んできたらものすごい費用が掛かるのは分かるので致し方がないのだが・・。

だが、その内容となると、この世界的な傑作オペラ『フィガロの結婚』にしても、平たく言ってしまうと日本のメロドラマと何ら変わらないのである。
詰まりは愛憎劇、愛し合っている二人が結婚しようとすると、そこに嫉妬が生まれ、妙な横槍が入って、すったもんだの挙句、大団円ということだ。(あまりに、実も蓋もない言い様だが・・)


〇 実は『セビリアの理髪師』とは兄弟関係 〇
このフィガロ、原作はフランスの劇作家ボーマルシェの戯曲「狂乱の一日- フィガロの結婚」によるもので、これは、その3年前に書かれた戯曲「セビリアの理髪師」の続編に当たるものだ。
(ボーマルシェはさらに続編である正劇「罪ある母」を書いて3部作としている)
フィガロの30年後に書かれたロッシーニの代表作『セビリアの理髪師』は、フィガロの前作の戯曲によるもので、登場人物もお馴染みのメンバーになっているのである。
詰まり、セビリアの理髪師(街の何でも屋)とはフィガロのことなのだ。

初演は1786年にウィーンのブルク劇場で行われ、その春のシーズンは無事上演され一応の成功を収めるが、その後は人気が薄れていった。
何分にも内容的に貴族社会を風刺する内容であったためにウィーンでは難しかったのだろう。
しかし、その翌年にプラハで上演されたときには熱狂的に迎えられ、モーツァルトはそのあまりの熱狂振りにプラハの国民劇場で38番のシンフォニーまでお披露目する気の入れようとなっていく。
(38番のシンフォニーはその為『プラハ』のニックネームが付いている)

〇 超あらすじ 〇
さて、ボーマルシェの戯曲を基にダ・ポンテが書いた4幕物の台本の超あらすじはこんな感じだ。

時は18世紀、場所は例の通りセビリアに近いアルマヴィーヴァ伯爵の領内。
このアルマヴィーヴァ伯爵、「セビリアの理髪師」ではロジーナ(今では伯爵夫人)に恋して、フィガロの機転でようやく結婚できた癖に、もう浮気心が湧いてきてフィガロの許婚であるスザンナ(伯爵夫人の小間使い)に初夜権を行使しようと画策している。
初夜権とは、こんなものがあったかどうか私は存じ上げないが、領主は領内の花嫁に対して結婚当日に初夜権なるものを行使できるという慣わしがあり、実は伯爵はこれを廃止した筈なのに美しいスザンナに対して復活させようと、けしからん事を画策している。
それを知ったフィガロは当然怒り心頭、スザンナと協力して伯爵夫人や周りの人々を巻き込みながら伯爵の悪巧みを阻止すべく奔走する。
これに、お小姓ケルビーノやドクター・バルトロ、女中頭のマルチェリーナなどの人々が複雑に絡んでくる。
そして、最後は伯爵が自分のふしだらな行為について夫人に許しを請うことになり、庶民の勝利となる。
後半をすっ飛ばしてしまっているが、超あらすじとしてはこんなところだ。

このオペラ、人間関係がちょっと複雑なので、ご覧になるときには少しその点を予習された方が劇の進展に合点がいってベターだと思う。

〇 序曲 〇
『フィガロの結婚』は序曲も大変有名で、よく演奏される。
4,5分の短い曲だが、ちゃんとソナタ形式だ。
まず、弦によってニ長調の第1主題が奏される。
まことにモーツァルトらしい軽快でワクワクする曲調だ。
優美で穏やかな第2主題はヴァイオリンとファゴットに現れる。
短い展開部を経て主題が再現されて、コーダへ。
喜ばしく、舞台の楽しさを思わせて結ぶと幕が開く。
そこにはフィガロとスザンナが居るという段取りだ。

〇 魅力的なアリア、カンツォーナ、重唱の数々 〇
このオペラには本当に天才モーツァルトの紡いだ魅力的なアリアやカンツォーナが散りばめられている。
有名なものだけでも

第1幕「もう飛ぶまいぞ、この蝶々」(フィガロのアリア)
第2幕「恋とはどんなものかしら」(ケルビーノのカンツォーナ)
第3幕「この抱擁は母のしるし」(スザンナ・フィガロ・マルチェリーナ・バルトロ・伯爵・ドン・クルツィオの6重唱)

などがあるが、登場人物を一律に扱わずに極めて個性的に描いている点では2重唱~6重唱にみるべきものがあるし、ブッファの設定の中にセリア的な語法を導入するのはこの後のオペラでもモーツァルトがよく行ったことだ。
だが、私がこの長いオペラ(カットが無ければ約3時間)で一番好きな歌唱は3分程の短いカンツォーナであるケルビーノの「恋とはどんなものかしら」だ。

〇 恋とはどんなものかしら 〇
このカンツォーナは伯爵のお小姓であるケルビーノが歌う短いカンツォーナだ。
ケルビーノはお小姓だから勿論男だが、このオペラではソプラノが歌う。
可憐で声の繊細なソプラノが歌うこのカンツォーナが、私は子供の頃から大好きだ。
ケルビーノがスザンナと伯爵夫人の前で歌うこの歌の内容は

恋とはどんなものかしら
知っているあなた
ご婦人方みてください
私の心は恋していますか・・・

で始まる。
憧れに満ちたこの感情は、時に火と燃えて、また冷めてしまう、ため息をつき、訳も無く胸が高鳴り・・
と恋心を可憐に歌い上げる。
曲は変ロ長調で始まって、属調のヘ長調に転調し、それから目まぐるしくヘ短調、変イ長調、それからハ短調・・
どんどん転調していく。
独特の転調と半音の動きが、恋に憧れ、翻弄され、夢うつつのうちに過ごす恋心をよく表している。
伴奏は木管と弦のピチカート中心の、とても洒落たカンツォーナ(アリエッタ)なのだが、実に上手いモーツァルトだ。


<今日の一枚>
今日はオペラということでもあり、DVDを観た。
1973年のグラインドボーン音楽祭の映像だ。
特にソプラノ陣の充実が素晴らしい盤だ。
■フィガロの結婚*歌劇 [DVD]
演出: ピーター・ホール 指揮: ジョン・プリッチャード 演奏: グラインドボーン音楽祭合唱団/ロンドンフィルハーモニー管弦楽団
出演: フィガロ:クヌート・スクラム(Bs)
スザンナ:イレアナ・コトルバシュ(S)
 ケルビーノ:フレデリカ・フォン・シュターデ(S)
伯爵夫人:キリ・テ・カナワ(S)
 アルマヴィーヴァ伯爵:ベンジャミン・ラクソン(Bs)
 バルトロ:マリウス・リンツレル(Bs)


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<推薦盤1>
プリッチャードのグラインドボーンのフィガロは私のイチ押しだが、他に挙げるとしたらベームだろう。
日本公演の貴重な映像がある。

■モーツァルト歌劇「フィガロの結婚」K.492 カール・ベーム指揮 ウィーン国立歌劇場日本公演 1980年 [DVD]
指揮:カーム・べーム
演奏:ウィーン国立歌劇場管弦楽団 合唱:ウィーン国立歌劇場合唱団
出演:フィガロ=ヘルマン・プライ/スザンナ=ルチア・ポップ/ケルビーノ=アグネス・バルツァ


 1980年9月30日 東京文化会館にて収録
 
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2013.10.20 Sun l モーツァルト l コメント (4) トラックバック (0) l top
★ モーツァルト ピアノソナタ第8番イ短調K.310 ★
このイ短調のソナタはモーツァルトにとってどんな意味があったのだろう。
良く言われる通り、この曲はモーツァルト初めての短調のピアノソナタであり、結局この後 K457ハ短調(第14番)のソナタと合わせて生涯でも2曲のみの短調で書かれたピアノソナタとなった。
この曲が作曲された1778年頃のモーツァルトはなかなか大変な状況だった。

〇 モーツァルトの憂鬱 〇
モーツァルトの人生は正に旅の連続であり、その旅毎に音楽家として見違えるような成長を遂げていった。
私はモーツァルトの天才は、旅先での経験を真綿の様に吸収していった、その才能にこそあると思っている。

・天敵コロレド
さて、イタリア(ミラノ)、ウィーン、ミュンヘンと旅を重ねて、モーツァルトは1775年の3月にザルツブルクに帰ってきた。
しかし、そこで待っていたのはコロレド大司教の冷遇だった。
このコロレドさん、ザルツブルクからモーツァルトを追い出した人物としてある意味「悪名高い」人物だが、尊大ではあっても特に無教養で粗雑な人間であった訳ではないようだ。
しかし、音楽に対する考え方が古く、教会的な声楽中心主義であり、器楽曲は毛嫌いしていた。
従ってモーツァルトを厚遇する理由も無く、食事の序列も使用人並の末席に据えられた。
コロレドからしたらモーツァルトの身分はただの「楽士長」であり、当たり前のことだったのだろう。
しかしこれは、ウィーンでのマリア・テレジア妃やイタリア・ミラノでフィルディナント大公から賓客扱いを受けたモーツァルトにとっては許しがたい侮辱であったようだ。

・オペラハウスが無い
さらに、音楽上の問題点として考えられるのが、当時のザルツブルクにはオペラを上演出来る箱のないことだった。
その当時ハプスブルク帝国界隈では 音楽家の栄誉=オペラでの成功 と言っても過言では無かった。

そんなこんなで、最早故郷であるザルツブルクは、モーツァルトにとって「我慢の出来ない土地」になってしまっていたのだ。
何かにつけて口煩い存在でもある偉大な庇護者「父レオポルト」から独立する時期にもきていたのかもしれない。

〇 パリへの旅 〇
そこで、また新天地(新職)を求めて、モーツァルトはパリへと向かうことになる。
今回は父レオポルトではなく母マリア・アンナが同行するのだが、これがまた不幸を呼ぶことになってしまう。

〇 アロイジアへの恋 〇
旅行は、ミュンヘンからマンハイムを経てパリに入ることになる。
ミュンヘンではバイエルン選帝侯に就職のアピールをするものの、体よくあしらわれ、失意の内にマンハイムに到達する。
そこで、アロイジア・ウェーバー嬢に出会い、恋に落ちる。(モーツァルトは結構簡単に恋愛する)
このアロイジア嬢はウェーバー家4人娘の次女で、3女が後にモーツァルトの妻になるコンスタンツェ嬢である。
モーツァルトも、結構ややこしいところで恋愛をしているのである。

アロイジアとはかなりいい感じであったようだが、父の命令もあって後ろ髪を引かれながら、彼はパリへと向かう。

〇 失恋と母の死 〇
パリでは、いきなり土砂降りの雨でずぶ濡れになったり、所持金も底をつき、安宿の寒い部屋で母は息子の活躍を祈っていた。
かつて、モーツァルトを天才少年として持て囃したパリの人々は成人したモーツァルトには関心を示さなかった。
それどころか、あくどい興行主や悪い貴族に騙されて、約束の作曲料を反故にされたり、散々だった。

そこに、あれほど熱烈恋愛だった筈のアロイジアには、どうやら別の恋人が出来たようで、振られてしまう。
さらに、最大のダメージとなったのが愛する母の死だった。

不幸な旅の連続の上に、パリでは懸命に働く息子から離れて、薄ら寒い安宿で疲れ果てていたのであろう。
1778年7月3日、母は帰らぬ人となってしまった。
モーツァルトの芸術上、決定的な人生イベントは「母の死」「結婚」「父の死」だと私は感じているが、精神的に一番ダメージを受けたであろう「母の死」をパリの地で迎えることになってしまったのである・・。


ふぅ、長々と思い出すままに書いてきたが、このソナタの場合には、背景に少なくともそのような「人生」があることに思いを馳せた上で鑑賞するほうが味わい深いと思っている。

〇 直進的な悲劇性 〇
私はこの20分足らずのピアノソナタを聴く時に、言い知れぬ悲しみを感じるのだ。
第1楽章の冒頭から、ひたむきに真っ直ぐ進む悲しみのテーゼ。
勿論、この楽章は所謂弁証法的ソナタ形式だ。
絶え間ない16分音符の動きは、どうにもならない苛立ちすら感じさせ、楽章の最後でハ長調に転じるのだが、それまでもが悲劇性を弥増すばかり・・。

そして、かのアインシュタインが言った「最早このソナタには社交性が無い」と。
ニューヨークのピアポント・モーガン図書館に所蔵されているこのソナタの自筆譜には『1778年パリ』とだけ記されている。
従って、上記の不幸な出来事との関連を決定付ける根拠は何も無い。

〇 アンダンテ楽章から悲しみへ突っ走る 〇
第2楽章はモーツァルトらしい、慈しみに満ちたアンダンテ楽章。
調性はイ短調の平行長調、下属調にあたるヘ長調。
第3楽章の疾走感との対比は、やはり見事だ。

〇 ひた走る悲しみ 〇
最終楽章の留まる事の無い悲しみは、やはり母の死と無縁ではないと感じざるを得ない・・・。
華やかなパリで、他にこのような悲しみを表現する必然性があったとは、私には思えないのである。


<今日の一枚>
さて、この悲しみのソナタを誰で聴こうか。
リパッティの名演を思わせるピレシュにしたい。
真摯に、悲しみの情感豊かに、数ミリのタッチを疎かにしないピレシュの演奏は大好きだ。
このCDは、ピアノソナタ第11番(トルコ行進曲つき)でもご紹介した、ピレシュの輸入盤だ。
国内盤もあるのだが、かなり割高になるのと、アマゾンの販売では在庫切れになった途端にサードパーティ業者が法外な値段を付けて販売し始めるため、私はこちらをお奨めしたい。
■モーツァルト:ピアノ・ソナタ全集3 (全集からの分売)
 アリア・ジョアン・ピレシュ(P)

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全集全てでもリーズナブルなので、輸入盤なら尚お得感がある。
■Mozart: Complete Piano Sonatas [CD, Box set, Import]
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<推薦盤1>
このソナタには伝説的なリパッティの名演が存在する。
33歳の若さで夭折したルーマニアが生んだ孤高のピアニスト、リパッティ。
録音が古いので、音質が悪いことは否めないが、他に残されているショパンやシューマンのコンチェルトなどよりは遥かに聞きやすい。
多少音が歪んでしまう部分もあるのだが、ノイズに悩まされるということはないと思う。
ノーブルで、純粋で、凛とした悲しみの表現になっている。
これは1950年7月の録音(ライブ)で、リパッティはこの年の12月に病気で亡くなっている。
■ブザンソン音楽祭における最後のリサイタル
 ディヌ・リパッティ(P) 他

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<推薦盤2>
内田光子のモーツァルトは本当に良い。
モーツァルトのソナタ全集を録音する際にも、1曲1曲ピアノの調律を曲に合わせて調整している。
所謂平均律ではないのだ。
深い敬愛の念をもって、研究し尽くしたモーツァルトの悲しみの音楽が表情豊かに訴えかけてくるようだ。
特に第2楽章のアンダンテは例えようも無く美しい。
■モーツァルト:ピアノソナタ第8番&第11番&第14番&15番
 内田光子(P)

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2013.08.26 Mon l モーツァルト l コメント (0) トラックバック (0) l top
★ モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第3番 ★
今日はモーツァルトだ。
モーツァルト自身はクラヴィーアのヴィルトゥオーソであった訳で、そのクラヴィーア曲は自分が演奏することを前提にしたものが殆どなのだと思う。
だが、ヴァイオリン教則本を執筆した父レオポルトの影響もあって、ヴァイオリン奏者としても一流であり、25歳くらいまでは所謂二足の草鞋状態だった。

このヴァイオリン協奏曲というジャンルは、モーツァルトにしては作品の数が少ない。
ヴァイオリンソナタが40曲以上残されているのに対して、コンチェルトは僅かに5曲である。
これは、ヴァイオリンコンチェルトというジャンルがモーツァルトにとっては自身の為というよりも、誰か他人を想定しての作曲ジャンルであった証左のように感じている。
尚、ヴァイオリン協奏曲には第6番、第7番も存在するが、これは現在では偽作である可能性が高いということだ。

〇 ヴァイオリン協奏曲第3番ト長調K.216 〇
モーツァルトは、第2番から第5番までのヴァイオリンコンチェルトを1775年の6月~12月の間に一気に書き上げている。
1番、2番ではまだ若干ヴィバルディを思わせる、ソロとトゥッティのやり取りになっており、バロック後期の香りがする。(それはそれで典雅で良いのだが)
ところがあまり時を経ずに作曲されたこの第3番ではかなりの進化を遂げている。
特にオーボエ、フルートといった管楽器の扱いについては、弦楽器とのバランスやその特性を活かして音楽の奥行きを作っているように感じる。

〇 オペラからの転用 〇
この曲の第1楽章第1主題はオペラ『IL RE PASTORE』K.208からの転用を指摘されている。
K.208を聞くと、確かにAmintaのアリアの出だしとそっくりな管弦楽のメロディだ。
モーツァルトの作品群で言うと、ディヴェルティメント風とも言える味付けのこの主題から入って、第2主題はオーボエとホルンに出てくる、そして独奏ヴァイオリンが後を引き受けて、きちんとソナタ形式。

〇 優雅な第2楽章 〇
この楽章はオーボエがフルートに代わって、ミュートしたオケのヴァイオリンと低弦のピチカートが印象的だ。
独奏ヴァイオリンは、その伴奏の上でひたすら甘美なメロディを歌う。
この音の構成、モーツァルトにとって、この後一つのパターンになっている。

オーケストラの編成が小さいため、オーボエがフルートに代わっただけで、音の印象がガラリと変わるのが面白い。

〇 変化の多いロンド形式 〇
第3楽章はロンド形式なのだが、軽快なロンド主題を持つABACADAといったロンド形式になるのだろう、このDに相当する部分が大変ユニークで、さすがモーツァルトである。
突然ト短調に変化して、曲調からして豹変する。

2番~5番のヴァイオリンコンチェルトは、良くギャラント様式だと言われるのだが、確かにバロック的な色彩は影を潜め、より洒脱なフランスの香りもするし繊細な主旋律を持ったホモフォニー音楽だ。
だが、私は上記の様にモーツァルトが第2番よりも楽器の特性を活かした音楽創りを目指し、オーケストラと独奏楽器の音響効果とバランスを考え始めたことに興味を覚える。
2番からの時間経過は、僅か2~3ヶ月のことなのだから・・・。
何があったのか・・、神のみぞ知る、なのか・・。

<今日の一枚>
アルテュール・グリュミオーによる名盤だ。
正に正統派と言えるグリュミオーのヴァイオリンは、叙情的でこの曲にぴったりである。
■モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3&5番/協奏交響曲
 アルテュール・グリュミオー(Vn) サー・コリン・デイヴィス指揮 ロンドン交響楽団

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<推薦盤1>
カラヤン拘りの録音といえるだろう、ムターとの競演だ。
美音を追求するカラヤンらしい演奏で、まだあどけないムターが初々しい!
ムター14歳の時の録音だ。
この純粋な曲に無垢なムターの演奏とカラヤンという組み合わせはアリだ。
■モーツァルト:ヴァイオリン協奏曲第3&5番
 アンネ=ゾフィー・ムター(Vn) ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

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2013.07.28 Sun l モーツァルト l コメント (0) トラックバック (0) l top